2023年3月28日、音楽家の坂本龍一さんが都内の病院でお亡くなりになられたと報道されました。
坂本龍一さんは2014年に中咽頭がんと診断されていて、その後直腸がんを患い、長い闘病生活を送られていました。
戦場のメリークリスマスやラストエンペラーなど、多数の有名な曲を生み出した坂本龍一さんは、闘病生活の中、音楽をうみだすことを絶やしませんでした。
この記事では、YMOとして活動されていた坂本龍一さんと細野晴臣さんとの出会いについて、YMO時代の関係や不仲だったのか調査しました。
坂本龍一さんの音楽を語るうえで、細野晴臣さんやYMO時代の曲はなくてはならないですよね。
坂本龍一さんと細野晴臣さんとの出会い、YMO時代の関係性や不仲だったのかを詳しくみていきましょう。
坂本龍一と細野晴臣との出会いは?
私は坂本龍一が好きなんじゃなく戦場のメリークリスマス&そのサントラ&ヨノイ大尉が好きなだけの、にわかファンとも言えないようなレベルなんだけど、それでも悲しいのは悲しい
YMOも細野さんだけになったか… pic.twitter.com/I9Na12KZY0
— キモ・身体シアン (@kimokarada) April 2, 2023
2023年4月2日に、坂本龍一さんが亡くなられたことが報道され、細野晴臣さんは2023年1月に高橋幸宏さんの訃報もあり、YMOのメンバーである盟友を2人とのお別れとなりました。
YMOとして活動されてきた坂本龍一さんと細野晴臣さんは、どのような出会いだったのでしょうか。
1975年に坂本龍一さんは、大学院にいるときにフォークシンガーの友部正人さんの「誰も僕の絵を描けないだろう」の作品でピアノの演奏者として参加されました。
友部正人さんの曲の参加をきっかけに、スタジオミュージシャンとして活動をはじめられた坂本龍一さんは、シンガーソングライターのりりィさんのバックバンドに所属しました。
その時に、当時のりりィさんのマネージャーが細野晴臣さんのマネージャーを坂本龍一さんに紹介したことで、細野晴臣さんと知り合いになりました。
坂本龍一と高橋幸宏との出会いは?
「物語りは終わったが本は消えず、ずっとそこにある。」
YMO 細野晴臣さんが幸宏さんへ宛てた言葉。
そして坂本龍一さんが好んだ一節
「芸術は長し人生は短し」
そして残してくれた芸術は今心の支えになっています#坂本龍一 さん#高橋幸宏 さん#尾崎豊 さん#坂井泉水 さん pic.twitter.com/pvmuyGfBbc— ひろやん (@L4A0FJNLQpaVkGk) April 3, 2023
高橋幸宏さんは、サディスティックミカバンドのドラマーとして活動され、海外ツアーに参加するほど、すでに実力を認められていた一方、坂本さんはまだスタジオミュージシャンの駆け出しでした。
ファッションセンスも素晴らしかった高橋幸宏さんは、初対面の坂本さんの印象は、「かっこいいのに汚い服装をしてもったいない」と思ったそうです。
坂本さんは高橋幸宏さんに対して、「音楽をする人がちゃらちゃらした格好をしている」と思っていたようです。
お互い、最初の印象はよくなかったみたいですね。
坂本龍一と細野晴臣とのYMO時代の関係や不仲だったのか調査!
高橋幸宏さんが旅立たれたのが1月11日。
3月28日には坂本龍一さんが。
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が、あっという間に細野晴臣さん一人になってしまった…。 pic.twitter.com/hgBMeSyaZG— Saitoh Masaya (@MS3110) April 2, 2023
YMOとして海外で注目を浴びていた坂本龍一さんと細野晴臣さんの関係性はどうだったのか、不仲だったのか気になるところですよね。
バンドが不仲で解散というのはよく聞く話ですが、どうなんでしょうかね。
坂本龍一と細野晴臣とのYMO時代の関係
世界の坂本龍一さん…
その坂本龍一さんと親交のあった主な著名人の方々です勿論、山下達郎さんもありますね
細野晴臣さんは3ヶ月で盟友2人を失くしたことになる…#坂本龍一#細野晴臣#高橋幸宏#YMO #山下達郎#スポニチ pic.twitter.com/FIxvsZnSz2— Mickey51 (@Mickey51Ichi) April 2, 2023
すでに音楽家として活動されていた細野晴臣さんは、坂本龍一さんと高橋幸宏さんを誘い、YMOは結成されたと言われています。
細野さんのお家に3人が集まって、「ファイヤークラッカー」をシンセサイザーでアレンジして、世界的な大ヒットを狙うと構想していたようです。
本当に実現させてしまうのですから、すごいことですよね。
後に、坂本龍一さんはシンガーソングライターの矢野顕子さんと結婚するのですが、坂本龍一さんと矢野顕子さんが知り合ったのも細野晴臣さんです。
坂本龍一さんにとって、細野晴臣さんとの出会いはかなり人生において大きかったことでしょう。
坂本龍一と細野晴臣は不仲だった?
某県某市のリサイクルショップで、今日、格安で入手。こんな幸運があってよいのだろうか。
ちなみに私のレジのひとつ前の客は坂本龍一のB2UNITを1000円ちょっとで買ってた。(もうちょっと早く店に着いてれば‼)#NowPlaying️ #松原みき #林哲司 #荒井由実 #細野晴臣 #鈴木茂 #林立夫 #松任谷正隆 pic.twitter.com/2ILPOSD8ic— 微吟 (@hdrjapan) April 3, 2023
YMOのメンバーは、個人でもそれぞれ音楽家として活動していました。
メンバー全員が音楽に対して全力で、こだわりを持って取り組んでいました。
よって、坂本龍一さんと細野晴臣さんは、個性の強さやバンドの方向性で衝突することはあったみたいです。
坂本龍一と細野晴臣との出会いは?YMO時代の関係や不仲だったのか調査!まとめ
二人はもういないのか…
坂本龍一さん、ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/4AZghkuoba
— ミカン (@44Floma) April 2, 2023
ここまで、YMOとして活動されていた坂本龍一さんと細野晴臣さんとの出会いについて、YMO時代の関係や不仲だったのか調査しました。
坂本龍一さんと細野晴臣さんの出会いについては、マネージャーさんのつながりがきっかけだったということが分かりました。
人との出会いって大事だなあと感じましたよね。
2人の関係が不仲だったというのは、音楽性のこだわりの強さがお互いにあったことで生じるものだったと考えられます。
YMOが大流行していた頃と現代では、時代が大きく変わっていて音楽の流行りも違っていたりします。
それでも、坂本龍一さんが作り上げてきた音楽は、ずっといい音楽としてきかれ続けていくと思います。
坂本龍一さんの弾くピアノは、聴いていてとても心地いいと感じますよね。
坂本龍一さんは長い闘病生活の中でも、音楽の制作を続けていました。
よって、まだ世の中に出ていない曲もあるのかもしれません。
もしまだ出ていない曲があるのであれば、最後まで作り続けていたものがどんな作品なのか聴いてみたいですよね。
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